カナダと日本のご縁と新渡戸稲造

先日 【RSSフィード】 お気に入りサイトの更新通知を受け取るの記事にて、カナダのビクトリアにある庭園・ブッチャートガーデン のページをご紹介したので、ふと新渡戸稲造博士のことを思い出しました。
新渡戸さんは『武士道』(”Bushido: The Soul of Japan” というタイトルで原文は英語)を著したことで有名な農学博士・教育家・思想家で、実は日本ではなく、渡航先であるカナダのビクトリアで亡くなっています。

旧5000円札の肖像になっていたことで、顔だけは皆さんご存知の、しかしその功績を知らない方は知らない、そんな新渡戸さん。
旧5000円札
そこでお話のついでで申し訳ないのですが、新渡戸さんがどうして日本から遥か遠くのビクトリアで倒れることになったのか、その経緯をご紹介したいと思います。

Bushido: The Soul of Japan で書かれた日本的精神

新渡戸さんは、上でご紹介したとおり『 Bushido: The Soul of Japan 』を著し、英語で日本的な精神を分かりやすく紹介したことで、広く海外のひとに日本の文化を知ってもらうきっかけを作りました。
海外で本が人気になり、数年後に日本でも出版されたそうで、いわゆる逆輸入ですね。
Bushido: The Soul of Japan
新渡戸さんが本を書いたきっかけの一つに、奥さんのメアリーさんがアメリカ人だったので、奥さんにも分かりやすく日本というものを教えてあげたいとの意図もあったんだとか。愛ですね。
のちにメアリーさんは日本に帰化して『万里(まり)』さんと名乗ります。

こちらは夫妻の写真。
新渡戸稲造とメアリー
『 Bushido: The Soul of Japan 』の中で、武士の、ひいては日本人の精神の柱となっているのは仏教、神道、儒教の教えや、武士や賢人といった先人から受け継いできた道徳的な規範であると説いています。

超絶要約すると、

武士の精神とは、変えられない宿命(Fate)に抗わず受け入れること。
いざ危機や厄災に遭った時に己を律して落ち着くこと。
生にしがみつかず、避けられない死を穏やかに受け入れること。
そしていかに死ぬかを意識するからこそ、いかに生きるかを強く意識することである。

そして人として正しい道を歩むために必要なのは
Rectitude or Justice(義)
Courage, the Spirit of Daring and Bearing(勇)
Benevolence, the Feeling of Distress(仁)
Politeness(礼)
Veracity or Truthfulness(誠)
Honor(名誉)
The Duty of Loyalty(忠義)
Self-Control(克己心=己に勝つ心)である。

という感じですね。

ちなみに私は、今日うっかり死んだとしても悔いの無いように人様にお見せ出来ない趣味の本やグッズは、私に何かあったら
友達に渡してくれとメモを貼ったダンボールにまとめていますし、パソコンのHDDとスマホを引き取って破壊してくれるように友達に頼んでいます。
風の谷のナウシカで出てきたセリフ、「 積み荷を…積み荷を燃やして… 」 というやつです。
とはいってもこれはこれで友達に手間を掛けてしまうので、いっそ脳と連動して、ユーザーの脳死を感知したら中身を薬品分解する収納ボックスとか発売してほしい。

ついでに脳死の感知と連携してTwitterとかのSNSも
『 このアカウントのユーザーは三途の川なう。今までありがとう 』
『 虹の橋のたもとわず。昔の飼い猫に会えて嬉しいから皆も悲しまないでほしい 』
とかそういうメッセージを表示した後でアカウント抹消してほしい。
でもSNSや個人サイトが死んだ後も残るというのは、広大なネットの海の中に自分の墓標がぽつんと立っているようなものだと考えたらちょっとSFっぽくてそれはそれでいいかなあ、という気もします。

私でなくても最近は終活といった言葉に代表されるように、あらかじめ身辺整理をして後顧の憂いなく生きる、という意識が高まっているとか。
高齢化社会っぽい流行だなあと思いますが、これもある意味で『 死を意識することで、より良く生きる 』 という精神ではないでしょうか。

国際社会から孤立していた日本

新渡戸さんは女子の教育推進などにも尽力した教育家としての面が国内では広く知られていますが、同時に国際連盟事務次長も勤めた国際活動家でもありました。
まずは新渡戸さんが苦労しながら頑張っていた時代の背景を凄くざっくりご説明します。
(とは言っても私は 『 残りの授業を全部休んでも卒業できる 』 という日数計算の結果、授業を放り投げて遊びに行っていたので、日本史後半の近代史があやふやです。間違いがありましたら大変申し訳ございません)

1915年、第一次世界大戦の最中、日本が更に国力を強めるために中華民国(現・台湾)に要求した対華21ヶ条要求(関東州、満州など日本の租借地の期限延長を含む)に対し、中国共産党(現・中華人民共和国=中国)、ドイツ、アメリカは強く反発していました。
1918年の第一次世界大戦の終戦後、特需景気(大戦による好景気)で各国が産業を発展させていく中で、あちらこちらにそういった国家間利害の火種が燻っていました。

そして好景気の反動を引き金に(バブルが弾けたんですね)1929年、ウォール街大暴落(株価の大暴落)が起こり、世界恐慌(深刻な経済危機)が発生し、日本の経済も例に漏れず、いよいよヤバイくらい困窮してしまいます。
そこで日本の軍部は 「 中華民国を占領して植民地にして財源にあてよう 」 と考えました。
(めちゃくちゃ言いよんなあ…と現代っ子ならドン引きする所ですが、当時はこれが割とアリな考え方でした。そして世界のあちこちの国の軍部がこう考えたために軍備が拡張され、後の第二次世界大戦に繋がります)

1931年、関東州に駐屯していた関東軍(日本の陸軍)は、満州事変(日本が走らせていた南満州鉄道をわざと爆破し、それを中華民国の仕業だと難癖をつけてケンカを売った)を起こして満州全土を占領。
愛新覚羅溥儀(映画『ラストエンペラー』で有名ですね)を皇帝に据えて、満州国(事実上、日本の傀儡政権)を建国します。

こちらは、1936年2月24日号のタイム誌の表紙です。
(左上から時計回りに昭和天皇、溥儀、蒋介石、スターリン)
01溥儀と昭和天皇、スターリンと蒋介石が表紙に載った『タイム』(1936年2月)

この強引な満州国の建国に怒った中華民国の「 日本が悪いことしてます! 」という訴えにより、国際連盟からは国際連盟日支紛争調査委員会としてリットン調査団(リットン調査団というお笑い芸人さんのコンビ名の由来)が派遣され調査を行い、
「 事情が複雑すぎて一概に日本だけが悪いことしたとは言えないし(でも自作自演は良くないんだけど) 今の満州がインフラ整備されて経済的にも発展したのは日本のおかげだし、でもそれに納得してない人もいっぱい居るわけで、日本は一回ごめんなさいして満州国は中華民国に返して、でも頑張って発展させたぶんの権利はそのままもらえるように、もう一回話し合って新条約を結んだらどうかな? 」 的な調査結果が提出されました。

それを元に1933年、国連臨時総会で
「 そもそも満州は中華民国のじゃん。だから日本は満州から撤退するべきじゃん? 」
という決議が行われます。
この採決は 42対1 で可決されます。
ぼっち日本。友達が一人も居ないみたいでちょっと切ない。
外交下手か。ロビー活動しなかったのか。

この国連からの満州撤退勧告に対して
「 どんだけ苦労して建国したと思ってんの。満州国はウチのだ。それは譲らん 」
と、抗議を表明した日本は国際連盟を脱退してしまいます。
この時に国から全権を任され臨時総会に出席していた外交官・松岡洋右は「 国からの電報でこうなったら脱退しろと命令されてたとは言え、マジでやっちゃった…国連脱退とか日本オワタ… 」 と落ち込んで帰ってきたのですが、当時の日本国民からは「 いいぞー!良くやった!! 」 と拍手喝采をもって出迎えられたそうです。
時代背景と情報統制と軍国主義教育によって、一般市民は国際社会から孤立すること、そしてその結果として戦争が始まることを恐れてなかったんでしょうかね。

最後の国際会議

こうした歴史の流れの中、新渡戸さんは講演中に軍閥(軍部が武力を背景に大きな政治的勢力を形成した派閥)を批判する発言をしたため国内で大きな非難を浴びました。

更に、悪化する日米関係と、それにより日系アメリカ人がアメリカ社会から排除されていく現状をなんとかしたいと、アメリカでも7年にわたって講演や会談を行いますが理解してもらえず「 母国だからって国際社会の均衡を乱す日本を擁護するとは 」 と非難されてしまいます。
新渡戸さんも、奥さんのメアリーさんも、日本では非国民と非難され、アメリカでは軍国主義の手先と誹られ、多くの友人や教え子が離れていき、どれだけ辛い思いをされたことでしょう。

そして1933年2月に日本が国際連盟を脱退して、世相が戦争へと一直線に向かっていたその頃、新渡戸さんは同年8月に行われた太平洋問題調査会の第5回会議に日本代表として出席するためカナダのバンフに向かいます。
しかしその道中で体調を崩し、激しい腹痛(後に膵臓炎と判明します)に襲われながらも、会議では必死に演説を行います。
国連を脱退してしまった日本にとって、この会議が国際社会に向けて国の意志を表明できる最後の場だったからです

“China and Japan sit side-by-side at the conference table. . . .
There are differences between our governments . . .
but as man-to-man, we harbor no ill-will the one to the other. . . .
Is it too much to hope then that in the intimate contact of nationals from all over the Earth, the day will gradually come when not passion but reason, when not self-interest but justice will become the arbiter of races and nations?”


Samuel M. Snipes著、
FRIENDS JOURNAL 『The Life of Japanese Quaker Inazo Nitobe』より引用

和訳するとこんな感じでしょうか。
相変わらず、言いたいことも言えないこんな英語力じゃ、ポイズン…というレベルの私の訳なんで間違ってたらすいません。

こうして中華民国と日本は会議の席に並んで座っています。
政府間では行き違いがあります、けれど腹を割って相対した時、個人の関係において互いに憎しみを抱くことはありません。
地球上のあらゆる場所で人と人が親密な関係を築くことで、激情ではなく理性が、利己心ではなく正義が、民族と国家の調停者になる。
少しずつでもいつかはと、そんな日が来ることをこいねがうのは大きすぎる望みでしょうか。

これが実現できれば本当に世界から紛争や戦争は無くなるんでしょうけどね。残念なことです。

その後 新渡戸さんはビクトリア市内の病院で開腹手術を受けますが、既に病状が進行しすぎており、快復することなく客死してしまいました。
そして最後の演説で新渡戸さんが訴えた願い虚しく、日中戦争、太平洋戦争、第二次世界大戦が始まり、数多の犠牲を払って日本は今の平和を手に入れます。

現在のカナダと日本

今では新渡戸さんが縁となり、出身地の岩手県盛岡市と、最期の地であるビクトリアは姉妹都市になっています。

また、ビクトリアと同じくブリティッシュコロンビア州にあるバンクーバーでは、ブリティッシュコロンビア大学のキャンパス内に 新渡戸記念庭園 が造られています。
2009年には、カナダと日本の国交樹立80週年を記念してバンクーバーを訪れていた天皇、皇后両陛下が来園なさったこともあるんですよ。

こちらはカナダの国旗。
カナダの国旗
カナダを代表する樹木であるサトウカエデ(Sugar maple)があしらわれています。

カエデの葉の意匠は、冬場に食べ物が無く餓死者が続出していた開拓時代に、先住民の知恵を教えてもらってカエデの樹液をすすって飢えをしのいだという歴史からカナダの厳しい自然と苦難を乗り越え建国したという誇りを表しています。
周囲の白は雪が降り積もる様子を、左の赤は太平洋、右の赤は大西洋を表現したものです。

サトウカエデの樹液(メープルウォーター)をひらすら煮詰めると出来るメープルシロップは口にしたことがある方も多いのではないでしょうか。
現在 世界で流通しているメープルシロップの70%超がカナダのケベック州産だとか。

私もたまにメープルシロップやメープルウォーターを輸入食料品店で買うのですが、特にメープルウォーターが好きです。
味で言えば、ほんのり甘い水みたいなものなので凄く美味しいとも言えないのですが、そのしつこくない味がクセになるというか。
それに乾燥する冬でも、煙草を吸い過ぎた時でもあれを飲むと何だかノドの調子が良い気がする(気がするだけかもしれない)。
しかしあのメープルウォーターで飢えをしのぐというのはかなり苦しいように思うのですが(なんといってもほとんど水分なので)約500年前のフランスからやって来た開拓団の人達は、冬の栄養源をそれに頼らなければならなかったほどに本当に苦労して開拓したんでしょうね。

太平洋の架け橋に

願わくは われ太平洋の橋とならん

新渡戸さんが東京大学入学試験の面接において面接官である外山正一教授から「 君は東大に入って何をしたい? 」と聞かれた際の返答です。

「 できることなら、太平洋の架け橋になりたいです。
  そのために政治学、経済学、統計学と、更にもっと英語を学びたいです。
  世界中の全ての国々が、互いの長所を認め合って仲良くして、
  一緒に成長していけるように、自分がその橋渡しをしたいのです 」
と語ったそうです。
21歳そこらなのにビジョンが明確、しかもその後もブレてない。すごい。

実際、日本とカナダは太平洋を挟んだ壮大なお隣さんとも言える間柄で、今では新渡戸さんをご縁に姉妹都市や日本庭園があったりするのですから『 太平洋の橋とならん 』という想いは実現されていますよね。

ビクトリアやバンクーバー関係のサイトをご覧になられた際には、そして実際に現地に行かれた際は、最期の最期まで国際社会の平和と共存を願い続けた新渡戸さんにも思いを馳せてみてくださいね。

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